工学的宗教の時代

信じない者こそ救われる。アンチスピリチュアル系の新宗教ブログ

宗教におけるミラクル

カナダのモントリオールにある聖ジョセフ礼拝堂の教会の祭壇には、故アンドレア修道士の「お陰」で歩けるようになったとされる人々が奉納した松葉杖が何体も並んでいます。

また、南フランスのルルドの泉は、重患がこの泉に浸ると奇跡的に病が癒されたという報告があります。これらは、宗教的ミラクルの代表的例です。

しかし、ルルドの泉に起こる奇跡的治癒においては、毎年二・三百万人の人々がこの泉を訪れている中で、数えるほどの奇蹟しか起こらなかったのも事実です。それは、治る病人よりも治らない病人のほうが遥かに多いということです。

このように、宗教的ミラクルというものは、事実起こってはいるが、極めて稀なことなのです。仮に、ある宗教があったとして、10人のうち8人の病が治ったとすれば、その宗教はひとまず信ずるに足るといえます。しかし、50人あるいは100人中で一人ぐらい病が治ったからといって、それに目がくらんで信仰すると恐ろしい結果になってしまいます。

新興宗教で高額の教祖の御本尊を販売している教団があります。そこの教団は、病気が治った人が出るとここぞとばかりに宣伝します。そして、病に効かなかった多数の症例は無視するのです。こうやって、原価の有って無いような物体に神話的ブランド価値を与えているのです。霊感商法の壺や印鑑の販売も同様です。ほとんどコストの掛からないものを神話という付加価値を加えてぼろ儲けしているのです。

宗教上のミラクルにおいて気を付けねばならないことがあります。それは、バランス(総合性)と有益性です。ある教団の信者さんの例では、その信仰で末期ガンを治癒したそうです。しかし、現在は経済苦と家庭不和という元々は抱えていなかった問題を抱えていると言います。これは、歪(いびつ)なミラクルの例です。

真の宗教は、これには効くが、こちらには効かないというような得意不得意や苦手分野というものはあってはなりません。また、無益なミラクルというものも存在します。例えば、金粉を降らせたり、飲み物の味を変えたりする類いの実践です。これは、「だからどうした?」としか云いようがありません。スプーン曲げのマジックの一種に過ぎないものです。曲がったスプーンを元にもどすならまだ役には立ちますけどね(笑)。