工学的宗教の時代

信じない者こそ救われる。アンチスピリチュアル系の新宗教ブログ

アヘンの価値すらもない

現実を離れて真の救済はありません。真理は必ず実証を伴うものです。

多くの人々が信仰心を持ちながら苦しみつつ世を去っています。現実の生活が向上せず、災難に遭ったり、病気で苦しんだりするのでは宗教の意味はありません。

人間の悩める心を癒すのが、宗教の目的であるかのように考えて、宗教が病を治したり現世利益(実証)を説くことを何か次元の低いもののように説く宗教家もいます。しかし、それは大きな誤りです。なぜなら、真理は必ず実証を伴うからです。

在来の宗教は、観念的な唯心論であり、人々をいたずらに自己満足に導くだけで、何らの実証も伴っていません。いわば、麻酔薬やアヘンのごときものです。どう人生の苦悩を積極的に再解釈つまりこじつけしようが、解決できないという結果は変わりません。

病苦や苦悩にあえぐ救いがたい人間は、観念的な説法を受け入れません。悲惨で残酷な運命に悩み苦しむ人間には、「ありがたい」百の説法も何の慰めにもなりません。

悩み苦しむ人間が望むものは、単純かつ素朴です。それは、悩みや苦しみを具体的に解決することです。それができない宗教はアヘンの価値すらもないのです!

鎌倉時代の宗教家である日蓮は良いことを述べています。「世間の安穏を祈るとも而も(しかも)国に災難起らば(おこらば)悪法流布する故なりと知る可し(べし)」これは、間違った教えはいかに広がろうとも、三災七難(さんさいしちなん)と呼ばれる天変地異や戦乱といった災難を防ぐ力は無いという意味です。

日蓮は、鎌倉時代の宗教が栄えていたにもかかわらず、民衆の苦悩に無力であることに憤り、『立正安国論』をしたためたのです。間違った教えはいかに栄えようとも三災七難の前には無力であるということです。現代で言うなら、テロや異常気象や自然災害に当たるでしょう。もっとも、私は日蓮の言葉には共感しますが、彼の唱えた方法論や実践は用いることはありません。