工学的宗教の時代

信じない者こそ救われる。アンチスピリチュアル系の新宗教ブログ

前世は存在するのか?

前世は存在するのでしょうか?結論から先に言ってしまうとそれはイエスです。しかし、それで終わってしまっては、従来の宗教と同じです。それは、「前世は存在します。信じなさい。あなたが病気で不幸なのは前世の悪業が原因です。良くなるためにもっと祈り、さらに寄付金を出しなさい。」ということです。

前世がもし存在するなら、なぜ人は前世の記憶を喪失してしまったのか?また、なぜ前世を想記できないのでしょうか?それを知るためには心の構造とメカニズムを知らなくてはなりません。

もし、記憶が失われた原因を知ることができれば、記憶を回復させることもできるはずだと考えることは、論理的かつ科学的な思考ですよね?

心が最適な状態であれば、記憶のデータベースにいつでも接触し、そこから必要なデータを得ることができるはずです。記憶力は、お金では買えなあなた自身の財産です。

最適な心の状態という観点に立てば、今までに学んできたことや聞いてきたこと、全ての電話番号や名前を自由に思い出すことができて然るべきです。もしそれができないのであれば、心の能力に改善の余地が残されているのは明らかです。

私たちの実践(宗教技術)においては、多くの病気や身体的および知的障害、また逸脱や精神疾患は心の機能不全により生じるものであるという結論を採用しています。

これまで、ヒンドゥー教や仏教そしてニューエイジのライフリーディングや退行催眠といった頼りない根拠によって前世の存在が論じられてきました。

私たちの宗教実践にとって、前世の存在は哲学上の問題や信仰ではなく実用的(プラグマティック)なものです。いくら哲学を学ぼうが、ある宗教を信仰しようが、実際に前世を想記できないのであれば、それはなんの役にも立ちません。また、催眠療法で患者が前世を語ったとしても、患者自身がそれを覚えていないのでは意味がありません。

私たちは、前世のルーツを知ることや解釈することに興味はありません。実際の「能力」を向上させることが私たちの実践の目的です。クライエントの気分を良くさせることを目的としても、その人の能力は回復しません。むしろ、クライエントを不快にしても、真実に直面させるべきです。あなたが、前世の存在に不信を抱こうと、それはあまりにも大きすぎて見過ごすことなど不可能な実際のものであることがわかるでしょう。

クライエント(被術者)に催眠術を掛ける必要はなく、はっきりと意識を持たせたまま前世の出来事に送る(私たちは、これをリターニングと呼んでいます)ことができることは別としても、私たちの方法論は目的もスタイルも、退行催眠やヒプノセラピーとは全く異なるものです。

どのような知識もそれに対する試金石は、それが実際に役に立つかどうかです。その知識は人をより幸せに、より健康に、そしてより有能にするでしょか?その知識を用いて、人はもっとうまく自分のゴールを達成できるでしょうか?

前世および全軌跡の知識は実際に人間の役に立つものです。全軌跡とは、あなたの経験してきた全てのタイムトラックと呼ばれる出来事のことであり、「全ての」前世を含みます。これについては、後に詳しく説明させていただきます。全軌跡の知識を前提とすることにより、人間が過去の様々な精神的あるいは宗教的実践によって取り戻そうと奮闘してきた、何千もの能力が再びその人のものになります。

さらに、この知識を用いることによって、それ以上の副産物が手に入ります。例えば、私たちのクライエントは突然、80年前に苦労して学んだピアノを演奏する技能を回復します。そして、複数の前世で用いていたいくつかの言語を、昭かな訓練もなしに使えるようになります。ある電子工学のエンジニアは以前はお粗末な仕事をしていましたが、突然アインシュタインを当惑させるような公式をまとめ上げるかもしれません。そして、かつて存在した百もの科学における千もの項目が明らかになるのです。これらは、能力の回復そのものではなく、能力の回復に伴う派生物です。これらが前世の「実用性」です。

科学の体系は、調査において非常に公明正大で、しかも情け容赦なくあるべきです。宗教は、本来科学の上位のデータであり、科学を包含するものであるため科学と同様の原則を用いるのは当然です。

それでも、まだ疑うというのであれば、客観的な証拠はいくらでも得ることができるということを付け加えさせていただきます。墓石、古代の人口統計、古い卒業証書やメダル、警察の犯罪記録などが「多くの生涯」の存在事実を証明してくれます。

アヘンの価値すらもない

現実を離れて真の救済はありません。真理は必ず実証を伴うものです。

多くの人々が信仰心を持ちながら苦しみつつ世を去っています。現実の生活が向上せず、災難に遭ったり、病気で苦しんだりするのでは宗教の意味はありません。

人間の悩める心を癒すのが、宗教の目的であるかのように考えて、宗教が病を治したり現世利益(実証)を説くことを何か次元の低いもののように説く宗教家もいます。しかし、それは大きな誤りです。なぜなら、真理は必ず実証を伴うからです。

在来の宗教は、観念的な唯心論であり、人々をいたずらに自己満足に導くだけで、何らの実証も伴っていません。いわば、麻酔薬やアヘンのごときものです。どう人生の苦悩を積極的に再解釈つまりこじつけしようが、解決できないという結果は変わりません。

病苦や苦悩にあえぐ救いがたい人間は、観念的な説法を受け入れません。悲惨で残酷な運命に悩み苦しむ人間には、「ありがたい」百の説法も何の慰めにもなりません。

悩み苦しむ人間が望むものは、単純かつ素朴です。それは、悩みや苦しみを具体的に解決することです。それができない宗教はアヘンの価値すらもないのです!

鎌倉時代の宗教家である日蓮は良いことを述べています。「世間の安穏を祈るとも而も(しかも)国に災難起らば(おこらば)悪法流布する故なりと知る可し(べし)」これは、間違った教えはいかに広がろうとも、三災七難(さんさいしちなん)と呼ばれる天変地異や戦乱といった災難を防ぐ力は無いという意味です。

日蓮は、鎌倉時代の宗教が栄えていたにもかかわらず、民衆の苦悩に無力であることに憤り、『立正安国論』をしたためたのです。間違った教えはいかに栄えようとも三災七難の前には無力であるということです。現代で言うなら、テロや異常気象や自然災害に当たるでしょう。もっとも、私は日蓮の言葉には共感しますが、彼の唱えた方法論や実践は用いることはありません。

宗教におけるミラクル

カナダのモントリオールにある聖ジョセフ礼拝堂の教会の祭壇には、故アンドレア修道士の「お陰」で歩けるようになったとされる人々が奉納した松葉杖が何体も並んでいます。

また、南フランスのルルドの泉は、重患がこの泉に浸ると奇跡的に病が癒されたという報告があります。これらは、宗教的ミラクルの代表的例です。

しかし、ルルドの泉に起こる奇跡的治癒においては、毎年二・三百万人の人々がこの泉を訪れている中で、数えるほどの奇蹟しか起こらなかったのも事実です。それは、治る病人よりも治らない病人のほうが遥かに多いということです。

このように、宗教的ミラクルというものは、事実起こってはいるが、極めて稀なことなのです。仮に、ある宗教があったとして、10人のうち8人の病が治ったとすれば、その宗教はひとまず信ずるに足るといえます。しかし、50人あるいは100人中で一人ぐらい病が治ったからといって、それに目がくらんで信仰すると恐ろしい結果になってしまいます。

新興宗教で高額の教祖の御本尊を販売している教団があります。そこの教団は、病気が治った人が出るとここぞとばかりに宣伝します。そして、病に効かなかった多数の症例は無視するのです。こうやって、原価の有って無いような物体に神話的ブランド価値を与えているのです。霊感商法の壺や印鑑の販売も同様です。ほとんどコストの掛からないものを神話という付加価値を加えてぼろ儲けしているのです。

宗教上のミラクルにおいて気を付けねばならないことがあります。それは、バランス(総合性)と有益性です。ある教団の信者さんの例では、その信仰で末期ガンを治癒したそうです。しかし、現在は経済苦と家庭不和という元々は抱えていなかった問題を抱えていると言います。これは、歪(いびつ)なミラクルの例です。

真の宗教は、これには効くが、こちらには効かないというような得意不得意や苦手分野というものはあってはなりません。また、無益なミラクルというものも存在します。例えば、金粉を降らせたり、飲み物の味を変えたりする類いの実践です。これは、「だからどうした?」としか云いようがありません。スプーン曲げのマジックの一種に過ぎないものです。曲がったスプーンを元にもどすならまだ役には立ちますけどね(笑)。

宗教が宗教である証

宗教が宗教である所以は何でしょうか?それは、ずばり「ミラクル(奇蹟)」です。宗教には多かれ少なかれミラクルが伴うものです。ミラクルなき宗教は死んだ宗教であり、役立たずの宗教です。

ミラクルと宗教は切っても切り離せないものです。ミラクルは、宗教によって「お陰」や「功徳」や「御守護」などと呼ばれています。ミラクルこそ生きた宗教の証であり生命線です。

人智をもって計り得ない現象をミラクルと言います。ミラクルは非科学ではなく、起こるべくして起こる当然の原理があります。ただ、現在の科学知識をもって解明できないだけです。一概に宗教的現象を迷信視する人は科学迷信に陥っているといえます。

一般の方は、ミラクル(奇蹟)といえば、滅多にないもの、常識ではあり得ないものとして驚くものです。しかし、世界には奇蹟でないものはありません。

例えば、土の中に花の種とスイカの種を植えたとします。同じ水と空気と日光そして養分を得ながら、なぜ一方は一輪の花となり、もう一方はスイカの実となるのか、その原理は説明できません。なぜ、種の違いでこれだけ大きな差が現れるのか、誰にも説明できないのです。

また、母親の母乳を飲んで育つ赤ん坊は、母乳がどうやって血液へと変化するのか、その原理は現代科学では説明できません。

人間は鈍感で、慣れてくるとそれを平凡視してしまうものです。そして、他に類を見ない、また常識で計ることのできない現象が現れたとき、それを奇蹟だと言って驚いています。しかし、眼を凝らせば世界は奇蹟に満ち溢れています。

奇蹟はめずらしいもの、滅多に生じないものではなく、現に今、一切の存在がミラクルの原理によって生じているのです。

北朝鮮的宗教

北朝鮮では、党や内閣の所管する人民経済の他に、金王朝が自由に使える宮廷経済が存在します。宮廷経済の原資は、外貨や国民から搾りとったお金です。この宮廷経済の割合は、北朝鮮経済全体の6割にも渡ると言われています。だから、国民はガリガリで金王朝だけが太っているのです。

北朝鮮の宮廷経済の使い途は、金一族や取り巻きの贅沢三昧だけでなく、部下の忠誠心を高めるためのプレゼント政治にも利用されています。この一部の幹部だけが贅沢三昧をして、会員が貧しいという図式はいくつかの教団とそっくりですね。

寄付金、御供養、献金(ドネーション)、財務、植福と名前は違えどやっていることは同じです。もちろん必要経費であれば問題ありません。しかし、霊感商法で金を巻き上げたり、中には献金額でランク付けしてステータスを与えたりというあきれた教団も存在する有り様です。

私は、信者や会員が貧しく不幸な一方で、教団幹部だけが贅沢三昧で豊かであるという状態は、その教団にとって恥ずかしいことだと思います。それは、北朝鮮が国際社会にとって恥ずかしいことであることと一緒です。なぜなら、それは指導者が無能であり、教団の教えに力が無いことの証だからです!

健全なビジネスであれば、企業の提供する製品やサービスが顧客を豊かにし続ける限りその企業はは繁栄するというのは自明の理です。一方、詐欺商法であれば、顧客からできる限りの金を搾りとって目先の利益を得ます。故に、詐欺商法は持続可能なビジネスではありません。

しかしながら、自らの教えや実践に何の効果もない、または害悪すらあるととっくの昔に気付いていながら、会員や信者から金を巻き上げ続けている教団が悪びれることなく生き残っています。

組織の問題と教団が説いている教えや実践は分けて考える必要があります。教えや実践は優れていても組織がダメな教団が存在し、一方で組織としては良心的でも教えや実践がダメな教団が存在します。多くはどちらもダメです(笑)。

どの教団も一つとして人々のニーズに応えることのできる製品やサービスを提供し、会員をより豊かに、より幸福にしているところは無かったのです。私たちノーイングネステクノロジーの運動は、効果もなく害悪すら与え、人々を不幸にし被害者をつくりだす宗教には全て退場してもらうためのものです。否、撲滅すべきです!

工学的宗教とは何か?

はじめまして。今回、ブログを立ち上げたのは、私達の知っている人生や宇宙の構造やメカニズムといった知識や、スタンダードテックと呼ばれる精神の技術を紹介できればと思ったからです。

実際に、この情報をお伝えしようと思うと、膨大な量のデータがあり、このブログを3000ページ位使っても伝え切れないほどです。どこから、どのようにこの情報を伝えていけば、うまく皆様に伝えることができるか非常に悩ましいところです。もちろん、直接会って、あるいはセミナー形式でお伝えできれば一番望ましいのですが、ブログというかたちで、どこまでできるかチャレンジしてみたいと考えました。

しかし、私達の提唱する実践的な宗教哲学は、データを全て学ぶことができたとしても、まだそこからが始まりなのです。一般的な宗教実践では、教えや説法を聴いて終わるか、あるいは教えを実際の生活に当てはめて終わりです。あとは、形式的な儀式か祈りといったお勤め的なものが、せいぜいでしょう。

私達の実践的宗教哲学は、膨大な量のデータの後に、膨大な量の技術が用意されています。これらは、全て人生の問題の根本的な解決策として、役に立つものです。

ブログでは、実践技術まで伝えることができません。それは、単に物理的問題ゆえにです。なので、ブログでどこまで価値を提供できるかが悩みどころなのです。しかし、伝えないよりは、一人でも多くの方に、私達の取り組みを知ってもらい、人生を変えるきっかけになってもらえればと願うものです。

もし、個人的に質問がある方は、sector9standardtech@gmail.comまでご連絡ください。どんな質問でも構いません。

今後とも、よろしくお願いいたします。